硫黄島からの手紙を観た・・・
映画「硫黄島からの手紙」を先日観ました・・・
感想はさておき、「硫黄島の戦い」はどのようなものであったかを
私の知る限り、ここに掲載します・・・
東京から1250km、東京とグアムのほぼ真ん中に位置する硫黄島。
その戦いは1945年(昭和20年)2月19日早朝の出来事でした・・・
日本軍硫黄島守備隊は総勢2万1000人。
対して米軍海兵隊は総勢3万人(後方支援も含めて6万とも7万ともされている)・・・
数で劣る日本軍は火力でもアメリカ軍の装備には到底追いつくものではなかった。
米軍は5日間でこの島を占領する計画でした・・・
米軍海兵隊上陸3日前から度重なる艦砲射撃・・・空爆・・・
米軍の計画では10日間、断続的に攻撃を加えたかったのだが
上役により却下され、三日間の砲撃・爆撃となる・・・
この3日間、塹壕の中で日本軍はひたすら耐え忍んだ・・・
この攻撃では日本軍は1%の損害も出なかったとされています・・・
それだけ堅強な塹壕(地下要塞)を日本軍は構築していました・・・
同日午前8時未明、米軍海兵隊上陸開始、砂浜に上陸部隊が続々集結する。
約1時間後・・・米軍を砂浜に十分に引き付けた後、日本軍は一斉に
攻撃に転ずる・・・
不意を付かれた米軍は身動きの取れない砂浜で狙い撃ちにされた・・・
米軍海兵隊はこの砂浜で前例の無い攻撃にあい指揮系統が大いに乱れる・・・
米軍は栗林中将の作戦により上陸直後から大きな代償を払う事となる。
この上陸での米軍の死傷者数は2300人。
これはノルマンディ上陸作戦の死傷者を越えた数字となった・・・
やがて落ち着きを取り戻した米軍は、一つ一つ日本軍が隠れている
塹壕を見つけ出し、手榴弾や火炎放射器が掃射されていった・・・
徐々に劣勢に陥る日本軍はやがて
23日午前10時、擂鉢山を征服される・・・
擂鉢山頂上に掲げられた星条旗は海兵隊の士気を
高揚されるべく掲げられたのでした・・・
擂鉢山を征服した米軍はいよいよ島中央部に位置する
栗林中将率いる司令部豪へと前進する・・・
26日、島中央部に位置する元山飛行場を征服・・・
これによりB-29の離着陸が可能となる。
この元山飛行場は日本とサイパンなどの島々を行き来するB-29爆撃機の
緊急着陸飛行場として使用されていく・・・
3月はじめ
やがて栗林中将は戦況悪化を悟り、司令部をを島の中央部から北部へ移す。
7日、米軍は日本軍を北部と東部に分断するべく奇襲作戦を決行。
この日から日本軍は戦力を大いにそがれる。
16日未明、栗林中将は東京の大本営へ訣別電報を送った。
26日未明、日本軍最後の組織的な反攻が行われ、栗林大将(この頃中将から大将に昇格)、
市丸少将以下、
数百名の残存部隊が米軍陣地へ突撃する・・・
ここに約1ヶ月間にもわたる日本軍の抵抗はほぼ、集結する・・・
(残存日本軍はこの後も散発的な抵抗を試みていた・・・・)
(又、自決する者も有・・・・)
硫黄島の戦いにての死傷者数
日本軍戦死者約2万人。
捕虜として捕らえられたのは1000人あまり・・・
米軍戦死者6800人。
負傷者2万8600人。
死傷者数は米軍の方が多かった・・・
太平洋戦争上、米軍が一番大きな代償を払う戦いとなるのであった・・・・
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