2006.12.17

硫黄島からの手紙を観た・・・

映画「硫黄島からの手紙」を先日観ました・・・
感想はさておき、「硫黄島の戦い」はどのようなものであったかを
私の知る限り、ここに掲載します・・・

東京から1250km、東京とグアムのほぼ真ん中に位置する硫黄島。
その戦いは1945年(昭和20年)2月19日早朝の出来事でした・・・
日本軍硫黄島守備隊は総勢2万1000人。
対して米軍海兵隊は総勢3万人(後方支援も含めて6万とも7万ともされている)・・・
数で劣る日本軍は火力でもアメリカ軍の装備には到底追いつくものではなかった。

米軍は5日間でこの島を占領する計画でした・・・
米軍海兵隊上陸3日前から度重なる艦砲射撃・・・空爆・・・
米軍の計画では10日間、断続的に攻撃を加えたかったのだが
上役により却下され、三日間の砲撃・爆撃となる・・・
この3日間、塹壕の中で日本軍はひたすら耐え忍んだ・・・
この攻撃では日本軍は1%の損害も出なかったとされています・・・
それだけ堅強な塹壕(地下要塞)を日本軍は構築していました・・・

同日午前8時未明、米軍海兵隊上陸開始、砂浜に上陸部隊が続々集結する。
約1時間後・・・米軍を砂浜に十分に引き付けた後、日本軍は一斉に
攻撃に転ずる・・・
不意を付かれた米軍は身動きの取れない砂浜で狙い撃ちにされた・・・
米軍海兵隊はこの砂浜で前例の無い攻撃にあい指揮系統が大いに乱れる・・・
米軍は栗林中将の作戦により上陸直後から大きな代償を払う事となる。
この上陸での米軍の死傷者数は2300人。
これはノルマンディ上陸作戦の死傷者を越えた数字となった・・・

やがて落ち着きを取り戻した米軍は、一つ一つ日本軍が隠れている
塹壕を見つけ出し、手榴弾や火炎放射器が掃射されていった・・・
徐々に劣勢に陥る日本軍はやがて
23日午前10時、擂鉢山を征服される・・・
擂鉢山頂上に掲げられた星条旗は海兵隊の士気を
高揚されるべく掲げられたのでした・・・

擂鉢山を征服した米軍はいよいよ島中央部に位置する
栗林中将率いる司令部豪へと前進する・・・
26日、島中央部に位置する元山飛行場を征服・・・
これによりB-29の離着陸が可能となる。
この元山飛行場は日本とサイパンなどの島々を行き来するB-29爆撃機の
緊急着陸飛行場として使用されていく・・・

3月はじめ
やがて栗林中将は戦況悪化を悟り、司令部をを島の中央部から北部へ移す。

7日、米軍は日本軍を北部と東部に分断するべく奇襲作戦を決行。
この日から日本軍は戦力を大いにそがれる。

16日未明、栗林中将は東京の大本営へ訣別電報を送った。
26日未明、日本軍最後の組織的な反攻が行われ、栗林大将(この頃中将から大将に昇格)、
市丸少将以下、
数百名の残存部隊が米軍陣地へ突撃する・・・
ここに約1ヶ月間にもわたる日本軍の抵抗はほぼ、集結する・・・
(残存日本軍はこの後も散発的な抵抗を試みていた・・・・)
(又、自決する者も有・・・・)


硫黄島の戦いにての死傷者数

日本軍戦死者約2万人。
捕虜として捕らえられたのは1000人あまり・・・

米軍戦死者6800人。
負傷者2万8600人。
死傷者数は米軍の方が多かった・・・
太平洋戦争上、米軍が一番大きな代償を払う戦いとなるのであった・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006.08.11

男たちの大和

男たちの大和 / YAMATO
映画「男たちの大和」を見た。
たまらなくなった・・・涙。
約60年前、わずか60年前にこのような悲劇が・・・

戦艦大和の撃沈までの歴史・・・
1937年11月4日
広島県呉市の海軍軍需工場にて秘密裏に起工(製作開始)。

1941年12月16日
戦艦大和完成・就役(新造の軍艦が任務につくこと)。

1942年6月5日から7日
ミッドウェー海戦始まる。
大和初出撃。しかし主だった功績は無く帰投。

1942年8月8日
第一次ソロモン海戦始まる。
いわゆるガダルカナル島の攻防。
大和、主だった功績は無く帰投。

1944年10月24日
レイテ沖海戦始まる・・・
護衛の空母は無く事実上海上からの攻撃のみの海戦であった・・・
その為、栗田健男中将率いる栗田艦隊は厳しい戦闘に迫られた。
米軍の艦上機からの激しい攻撃により
巨艦「武蔵」はこの戦いで撃沈された・・・
大和はこの戦いで初めて主砲を撃つ事となるが、
劣悪な戦況は明白だった。
日本艦隊は、栗田中将による突然の
「反転、北上せよ」の命令により事実上戦闘は終結。
なぜ、突如反転北上したかについては謎のままである。

1945年4月5日
米軍が沖縄に上陸・・・
ついに日本本土決戦が始まる・・・

1945年4月6日
戦艦大和、沖縄擁護に向け山口県徳山湾から出撃する・・・
この作戦は、大和の海上特攻が目的であった。
燃料も片道分しか積んでおらず、沖縄の米軍上陸地点付近の
海岸にわざと座礁させ、主砲、及び機銃で米軍を撃滅させる
と言う無謀な作戦であった。
すなわち海岸に横たわる鉄の防護壁とでも言おうか・・・・
こんな作戦が成功しないという事は大和艦長、
ならびに護衛艦幹部たちは了解していた。
ではなぜ、このような作戦を受けるに至ったか?
それは・・・
「どうか、一億特攻のさきがけになってもらいたい」
と願う連合艦隊参謀長の言葉によるものだった・・・

4月7日朝
鹿児島県薩摩半島南端沖、東シナ海において
米策敵機が大和を発見。 米空母艦隊が大和を確認、
第1次攻撃機、約200が出撃。
戦闘機・爆撃機・雷撃機(主に魚雷を搭載)から激しい攻撃を受ける。
4月7日、13:00から14:00
第2次攻撃機、約100からさらに攻撃を受ける・・・
米軍艦上機は大和左舷を集中して攻撃。
魚雷約20発が左舷に集中被弾したため、
大和の注排水システムは限界を向かえる。
やがて船が大きく左に傾きだす。(約20度とされる)
そして数分後、左舷(弾薬庫?)が大爆発。
大和は折れながら海に沈んでいった。
時刻は約14;30。

これが戦艦大和の沈没・撃沈である。
戦死者約2,500名・生存者約270名である。
この戦いにおいて、他の大和艦隊(軽巡洋艦他)の乗組員も含めると
実に約3,700名が戦死した・・・・・・・

1945年8月6日
マリアナ諸島テニアン島からB29爆撃機が離陸。
広島にウラニウム爆弾、原爆が投下される。

同年8月9日
長崎にプルトニウム爆弾、原爆が投下される。

1945年8月15日正午
「玉音放送」がNHKから放送される。
終戦。

私たちはこの戦争の事実を真摯に受け止めなくてはなるまい。
彼等は今日の日本が在る「さきがけ」として戦ってくれたのだから・・・
私たちは彼等の戦いを無駄にしてはいけない・・・・
戦争の悲惨さを後の世代に伝えていかねばなるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.10.10

マレーの虎

真珠湾攻撃が開始されたその約1時間前、イギリスの植民地だったマレー半島では
日本軍のマレー上陸作戦が開始されていた・・・
いわゆる大東亜戦争の始まりである。
主に狭義では海戦を太平洋戦争、南方戦線を大東亜戦争と呼ぶ。
第二次大戦後期の日本軍の主戦場は主に南方(東アジア)に限定される。
(海軍はほぼ主力戦隻を失っていたため)
マレー・シンガポール攻略では山下秦文中将が指揮。
日本軍の南方(東アジア)での狙いは主にインドネシアなどの石油、マレー半島のゴムや錫、
などの地下資源確保である。
日本陸軍の進軍はすさまじい速さで行われた・・・
まずは12月8日上陸開始、マレー、コタバルにある英軍の飛行場を激しい空爆などに会いながらも上陸翌日に制圧、それと同時に
東南アジア唯一の独立国であったタイとも半ば強引に軍事通過協定をを締結。
タイとマレーの国境近く、パーシバル中将率いるイギリス主力防御陣地(ジットラ・ライン)
をたった二日で通過、シンガポールを望むジョホールバルまで一日平均20キロで進軍したのである。

それと同時に日本海軍は12月10日午前11時未明、日本陸軍策敵機がクワンタン沖でイギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパルス」を発見。
直ちにサイゴンから陸上攻撃機約80機が出撃。
九六式陸上攻撃機)(一式陸上攻撃機
英東洋艦隊には護衛の戦闘機はついていなかった為に制空権は日本軍が掌握していた。
約4時間後には二隻の船は沈没。
この海戦では英軍は2隻の戦艦を失い日本側は3機、航空機を失うだけだった。

マレー半島上陸から約二ヵ月後の2月9日、ジョホールバルに集結した日本陸軍6万は
シンガポールに上陸、そこには13万のイギリス・インド軍があった。
激しい連日のブキテマ高地での激戦で日本軍は砲弾も底をついた。
一時停戦も止むを得ないところが2月15日、イギリス軍側から突然、停戦の申し入れがあった・・・
英軍側も食料などが不足していたのだった・・・
しかし強気の山下秦文中将は停戦を申し込んできたイギリス・パーシバル中将に対し
「夜襲の時刻も迫っているが、英軍は降伏するのかどうか。
「イエス」か「ノー」で返事せよ」と強く迫った・・・

やむなくパーシバル中将は「イエス」と回答した・・・
ここに山下秦文中将マレーの虎伝説は始まったのだった・・・
しかし実際にはそこまで山下秦文中将は、高圧的な態度を取った覚えが無いらしい・・・

日本陸軍がマレー半島上陸からシンガポール制圧までかかった日数は約、70日間であった。
この70日間の間に日本陸・海軍は「タイ」「マレー半島」「シンガポール」を制圧したのだった・・・


| | コメント (0) | トラックバック (0)

真珠湾攻撃

1941年(昭和16)12月8日(日本時間)
かの大戦、太平洋戦争が開戦した!!!
いわゆる「新高山登レ1280」(暗号)受信・・・
(これは12月8日を開戦日とする日本軍の暗号)
(ちなみに新高山は当時、日本領の台湾にある標高3950メートルの高山である)
空母を主体に構成された南雲忠一中将率いる機動部隊はハワイのオアフ島
北方沖合190海里に到着・・・
現地時間7日午前六時未明、180機あまりの第一次攻撃隊が六隻の空母から離陸した・・・
第一次攻撃隊から一時間後には第二次攻撃隊167機も参戦・・・
真珠湾に停泊していた米太平洋艦隊は戦艦8席のうち4隻撃沈、3席が大破した。
又、アメリカ軍航空機231機破壊に成功・・・
中でも有名なのが戦艦「アリゾナ」沈没であろう・・・

そして「トラ・トラ・トラ」発信・・・
(これは、第一次攻撃隊の指揮官が日本艦隊に「我、奇襲ニ成功セリ」
という意味を持つ暗号を発信したこと・・・)

真珠湾攻撃は山本五十六連合艦隊指令長官(山本五十六大将)によるによる発案である・・・
又、山本五十六は真珠湾攻撃に備え、鹿児島の錦江湾で零式艦上戦闘機(ゼロ戦)
97式艦上攻撃機99式艦上爆撃機、隊員たちに
対戦艦訓練を指示していた。
これは水深の浅い真珠湾に形状が酷似していた錦江湾を使用し、深く潜ることの無い
改造魚雷を開発、命中率を高めることに成功していた・・・

時の総理大臣は「東条英機」又、陸軍大将でもあった・・・
つまり日本の政治は軍部が掌握していたことになる・・・

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.09.19

日本陸軍について


この本は日本陸軍についての文庫である。
階級や兵の構成、又、師団とは?使用兵器の解説、陸軍大将の紹介など細かく記載されています。
昔の方々がどう訓練して戦っていったか・・・
非常に勉強になる一冊であった・・・
東条英機陸軍大将は世間では悪く言われているが、私個人的な意見としては
よく出来た人間であったのではと思う。
テレビなどで紹介されるあの微笑に私はそう感じたのだった・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

太平洋戦争オール図解

この本は非常に解りやすかった・・・
この本で大体の日本軍の戦歴が理解できますよ!!!
戦争好きと言えば御幣があるが、歴史の勉強に大切なことでもあるのだ!!!
私は堂々と日本を背負って戦った方々に敬意を評したい・・・
大日本帝国万歳!!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

イラスト・ミリタリー系 | オリジナルムービー | サイトに関して | ソフト・FLASH | ソフト・FLASH・広告制作 | ソフト・painter | ソフト・Photoshop | ソフト・SHADE | ソフト・イラストレイター | ハード・デジタル一眼レフカメラ | ハード・プリンター | ハード・大判インクジェットプリンター | マクロ撮影・ア行の花 | マクロ撮影・カ行の花 | マクロ撮影・サ行の花 | マクロ撮影・タ行の花 | マクロ撮影・ナ行の花 | マクロ撮影・ハ行の花 | マクロ撮影・マ行の花 | マクロ撮影・ヤ行の花 | マクロ撮影・ラ行の花 | マクロ撮影・ワ行の花 | 写真・バラ・薔薇特集②(薔薇の種類) | 写真・バラ・薔薇特集③(薔薇の種類) | 写真・バラ・薔薇特集(薔薇の種類) | 写真・小物 | 写真・建物・建築物 | 写真・昆虫(虫) | 写真・東京モーターショー | 写真・楽器 | 写真・機械 | 写真・熱帯植物園 | 写真・生物 | 写真・自然 | 写真・車関係 | 写真・食品・食べ物 | 写真・飲み物 | 写真・高解像度写真 | 文化・芸術 | 書籍・雑誌 | 画家・アングル | 画家・クールベ | 画家・ゴッホ | 画家・ゴーガン | 画家・ジェリコー | 画家・セザンヌ | 画家・ダヴィット | 画家・ティツィアーノ | 画家・ドラクロワ | 画家・フェルメール | 画家・フラゴナール | 画家・フリードリヒ | 画家・ボッティチェリ | 画家・マネ | 画家・ミレー | 画家・モネ・ | 画家・ラファエロ | 画家・ラ・トゥール | 画家・ルノワール | 画家・レオナルド・ダ・ヴィンチ | 画家・レンブラント | 画家・絵画の歴史 | 考察・俳句・川柳・短歌 | 考察・株式投資 | 考察・永遠の謎? | 考察・第二次世界大戦 | 考察・経済ニュース | 考察・電気機器